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《注目の書籍》 中国の戦争宣伝の内幕 増補改訂版 日中戦争の真実

《注目の書籍》

中国の戦争宣伝の内幕 増補改訂版

日中戦争の真実

 

フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ
田中秀雄

芙蓉書房出版

定価    2,640円(税込)

 

 


蒋介石宋美齢のウソに騙された米国が巨額の援助
■一方的に「悪者」にされた日本軍
■その背後でソ連が暗躍
米国人記者が暴いた驚くべき真実とは…


1938年、現地取材を敢行した米国特派員フレデリック・V・ウィリアムズは、中国の背後で糸を引くソ連の影と、巧妙に作られたプロパガンダの実態に気づく。本書は、当時の欧米世論が知らなかった“不都合な真実〟を記録した禁断のルポルタージュ。著者の新たな経歴や新発見の論文を追加収録した増補改訂版は、情報が武器となる時代にこそ読みたい、戦争とメディアの本質に迫る決定版である。(同書のカバーより)

【目 次】
解 説
第1章 極東の現状、その全体の俯瞰図
第2章 西安事件と頻発する日本人虐殺事件
第3章 第二次上海事変の内幕
第4章 残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダ大戦略
第5章 日本のアジアに対する崇高な使命感
第6章 パネー号事件と対米プロパガンダ大作戦
第7章 阿片を蔓延させる日本というプロパガンダ
第8章 中国人と日本人を比較する
第9章 チャイナタウンの暗殺団と中国の軍閥
第10章 反日を煽る偽写真
第11章  ソ連の中国侵略を阻止しようと戦う日本
第12章  宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する
第13章  広東と漢口の陥落、そしてその後の展望
後日譚

 

【著者略歴】 フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ(Frederic Vincent Williams)
 1890年生まれのアメリカ人。 少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪したりする冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16カ月から4年という不定期刑を言い渡される。戦後、1956年にThe Martyrs of Nagasaki (長崎の殉教者)という本を出版している。死没年は不明。 

 

【訳者略歴】 田中秀雄 (たなか ひでお)
 1952年福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本近現代史研究家。著書に『暗黒大陸中国の真実』 『続・ 暗黒大陸中国の真実』(ともにR・タウンゼント著、共訳)、「日米戦争の起点をつくった外交官』(P・ラインシュ著、 訳)、『日本を一番愛した外交官』、『率直に言って、あなたたちより我々の方に非があると言わざるを得ません。」(以上、芙蓉書房 版)、『優しい日本人、哀れな韓国人』 (WAC出版)、『中国共産党の罠』(徳間書店)、『日本はいかにして中国との戦争に引きずり込まれた か」、『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(以上、 草思社)、『満洲国建国の正当性を弁護する」 (G・ブロンソン・リー著、翻訳、草思社)ほか。

 

日本人が知らない「日中戦争の真実」を米国人記者が教えてくれた!


山本徳造(本ブログ編集人)

 

 目からウロコの本である。大東亜戦争後の日本では、いわゆる「戦後教育」で歪められた歴史が教えられてきた。戦後80年も経過しているにもかかわらず、いまだに日本人の多くが加害者意識と罪悪感を抱いている。「米国=善、日本=悪」と叩き込まれ、日中戦争も「日本=加害者、中国=被害者」という構図が定着したのだ。
 騙されやすい国民性なのか。それともお人好しなのか。なにしろ「その戦争によって傷つけ悲惨にした方たちに、これ以上は謝罪しなくてもいいと許してもらえるまで、許しを請う気持ちを持ち続けなければならない」という首相経験者もいる国である。「ああ、情けない」と嘆くだけでは済まされない。そんな情けない風潮に一石を投じ続けている一人が、近現代史研究家の田中秀雄さんだ。
今回紹介する本も、胸につかえていた疑問を晴らしてくれるような一冊である。
 いつも思うが、田中さんほど、歴史の中に埋もれていた人物を、いつも偶然に発掘し、生き生きと描写する能力に長けた人物はいない。「増補改訂版」と断っているように、同書の翻訳本が最初に出版されたのは、平成21(2009)年のことだ。
「あとがき」でも触れているが、田中さんはその頃、「日本が朝鮮を統治していたほぼ35年間のほとんどを朝鮮で暮らし、朝鮮農民の生活向上、福利厚生に大きな力を発揮した重松髜修(まさなお)氏」のことを調べていた。その重松氏のことを書いたノンフィクションが、話題になった『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(草思社 二〇一〇年)である。
 このときも、田中さんはたまたまある人物の存在に気付く。重松氏が勤務していた「金融組合」(本部・京城)から発行されていた機関紙『金融組合』を隈なく読んでいると、池田林儀のエッセイに出くわす。「あとがき」には、こう書かれている。

〈この書物は重要なものに違いないと確信し、手に入れようと思った。当時はAmazonで簡単に洋古書が手に入る時代ではなかった。アメリカから送られてきた原書は初版で、F・V・ウィリアムズの直筆のサインがあった。それからややあって、『再検証 南京で本当は何が起こったのか』(阿羅健一著 徳間書店 二〇〇七年)の参考文献欄を見ていると、『背後より見たる日支事変』(フレデリック・V・ウィリアムズ)と書いてあり、戦前に訳されていたことも知った。しかし著者は「米国人新聞記者」としか書かれておらず、それ以上の探索はかなわず、見切り発車の出版(二〇〇九年)となった。
 その後、私は或る人から依頼されて、本書解説にある「正定事件」について調べることになった。その成果は雑誌『正論』(二〇一五年一月号)に掲載された。「正定事件」を論じたものとしては嚆矢となると自負している。(嗚呼、好漢・小島新一『正論』編集長は既に泉下の人である……。)
 その調査過程でカトリック系の新聞に、偶然にもウィリアムズの足跡が詳しく出ていることに驚嘆した。そこからさらに広く探索し、史料を集め、今回の「増補改訂版」となった。〉

 田中さんが翻訳し、さらに解説と後日譚も加えた「増補改訂版」を読んだ読者は胸のつかえが下りるに違いない。満洲国が誕生したとき、欧米は「日本の傀儡国ではないか」と批判的だった。しかし、現地をつぶさに見たウィリアムズは違う。

〈日本は中国の大衆が一般的に持っている怠惰や欠点をよく知っていた。中国軍閥の信義のなさや貪欲もよく知っていた。しかし日本はその軍閥とその傭兵匪賊集団を満洲から放逐してしまった。そしてそこを北支人が嫉妬するほどの国に変えてしまった。〉
〈三千万の人口に、掠奪と殺戮をこととする約三十万の匪賊が横行していた。その軍閥は "若き元帥"と呼ばれていた張学良とその部下たちによって支配されていた。今ではその張学良の軍閥も消えた。新しい帝国では匪賊は三万以下に減り、学校ができ、工場ができ、鉄道、幹線道路、ビルディングが見られる。零落した村、見捨てられた土地、耕作放棄地はなくなった。〉 

 またウィリアムズは、凄惨極まりない「通州事件」にも触れる。

〈日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、 子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。それは一九三七年七月二十九日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追い詰められていった。家から連れ出された女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別も付かなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
 これは通州でのことである。古い町だが、中国で最も暗黒なる町の名前として何世紀の後も記されることだろう。〉

 しかし、日本の若者の何人が「通州事件」を知っているだろうか。「南京大虐殺は知っているけど、通州なんか聞いたことがない」と言われるのがオチだ。ましてや、ウィリアムズが記したように「中国で最も暗黒なる町の名前として何世紀の後も記される」ことはない。でっち上げられた「南京大虐殺」が、あたかも真実であるかのように世界中に拡散されているのとは正反対である。なにしろ「戦争宣伝」を得意とする中国人だから。
 蒋介石夫人の宋美齢は「日本軍に侵略されて中国民衆が困っているので、何とかしてちょうだい」と泣きついて米国から大金をせしめて、自分たち夫婦の懐に貯め込む。こうして蒋一族の「対米プロパガンダ大作戦」は大成功に終わるが、ウィリアムズは「軍閥」のボスでしかない蒋介石に不快感を隠さなかった。

〈一方、日本は朝鮮や満洲でやっているように、よりうまく建設に着手するだろう。そこは古きよきアメリカが参加できるところなのだ。軍閥共産党を退却させ、中国に展開していった日本軍の背後に、私は鉄道や幹線道路、製造所、工場、戦争で破壊された市や町などの計画を準備している技術者や建設者たちの姿を見た。これらの中国の動向の背後に、私は現代の最も巨大なムーブメントの一つを見たのだ。それは我が西部開拓時代に喩えられるような帝国満洲の発展である。〉
 
 勤勉で心優しい日本人をウィリアムズは知っていたのである。

〈日本を旅行してみて、私はアメリカ人への親切心、我々への最大のを発見しただけではなかった。同時に多くの日本人から傷つき困惑した驚きをも見出した。敵のプロパガンダに不当にやられているのを我々が許容しており、あまねく日本に敵対しているからだ。これには疑問の余地はなく、分かろうと努力する必要もなかった。我々が取ってきた態度に日本人はまったく途方に暮れている。彼らはアメリカに心底恩義があると思っているのだ。彼らはそう認識している。青年時代に彼らはアメリカで教育を受け、生活の仕方やビジネスのやり方の多くを取り入れたのだ。あらゆる外国のうち、アメリカほど自分に近しいものはないと彼らは思っている。彼らは我々を好きなのだ。このことに疑いはない。しかし我々は彼らを好いているのか?  そうできるのか?  日本を理解できるのか?  私はやろうと試みれば、そう望めば、立ち止まって考えれば、ここまで読んできたことを比較して考慮すれば可能だと思っている。〉

 日米関係が悪化の一途をたどる中、親日家のウィリアムズは本書を執筆した。が、真珠湾攻撃の後に逮捕され、16カ月から4年の不定期刑を言い渡される。ワシントンにとって、よほど都合の悪いことが書かれていたのだろう。言論の自由はどこへ行ったのか。どこが「自由の国」なのか。本書を読んで、ますますその思いを強くした。ぜひ一読をすすめたい。

「長崎に落ちた原爆についても、ウィリアムズはアメリカの責任を追及している。委しくは本書を。

 

▲F・V・ウィリアムズと終生の親交を結んだ山口愛次郎長崎司教(カトリック

 

▲1945年9月撮影された浦上天主堂の残骸(ネットより)。山口司教の母親は、原爆によって天主堂内で即死した